●自宅、工房全焼でもめげず
全てが焼けても、道具は残った。能登半島地震で甚大な被害が出た輪島市の県立輪島漆芸技術研修所。職員や研修生の中には、「輪島朝市」周辺の火災で自宅や工房を失った人もいる。研修生の余門(よもん)美晴さん(23)は、実家の漆芸店が全焼したが、輪島塗の継承へ確かな一歩を踏み出している。
●「見ていないから」
9日の所内。研修生や職員ら数人が地震の揺れで廊下や部屋に散乱した物品を片付けていた。研修生37人と、職員や講師計60人全員は無事。建物も大きな損壊は免れた。だが作業に必要な水は途絶え、日常生活すら困難。当面休講とした。
次長の村本潤也さん(58)は朝市通りの自宅が全焼。県職員の立場で3日まで避難所対応に当たった。窓から見えたのは、次第に自宅へ流れていく炎。まだ帰宅はしていない。「しゃあないですよ、行っても。多分、見ていないからこうやって(仕事が)やれてるんだ」と言葉を吐き出した。
研修所は1967年に輪島市立で発足。未経験者が対象の2年と、専門分野を学ぶ3年の課程で構成され、人間国宝の職人らが講師として技を伝える。漆芸専門の研修所は国内2カ所だけという。
漆で描いた絵に金粉をまきつける「蒔絵(まきえ)」を学ぶ余門さんは両親の営む「余門漆芸工房」(輪島市)が実家ごと全焼した。「ああ、だめだ」。家族で車中泊した発生当日の夜、車のテレビは燃え上がる町を映していた。自宅は跡形もなくなった。「家の前に立つまでは、燃えてしまったというだけの感情だった。それが敷地の中に入ると、とにかく悲しくなって…」。涙が頰を伝った。
9日は地震後初めての研修所で自分の道具類や漆器の無事を確認。「年末年始に使わないからと(自宅に)持ち帰らないで良かった」。どこかほっとした様子だった。
両親の姿を見て育ち、後継ぎを決意。実際に学んで技法の奥深さが楽しくなった。「まだ足りない技術を習得し、良い作品をつくりたい。可能な限り早く、ここで学びたいです」。工房を新たに建てるつもりの両親と共に輪島の復興を誓う。
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