自由に旅をすることが難しくなった。国境を越え、登山や冒険や探検をしていた人たちは、どうしているのだろう。けれどそんな状況が、一年、二年と続く中で気づいたのは、もどかしく感じていたのは私だけで、本物の探検家たちは様々な手段で“旅”をしているということだ。
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」とプロフィールに掲げる著者の高野さんは、この2年で本書を紡ぎ出した。それは「言語」を巡る旅の顚末だ。高野さんは、これまでにアフリカのコンゴ奥地で幻獣を探したり、ミャンマーの秘境でケシ栽培をしたりして、ノンフィクションを書いてきた。なかでも私が好きなのは、納豆を追い求めて世界中を旅する『幻のアフリカ納豆を追え!』なのだが、珍道中でありながら、ふつうの人は入っていけない場所へするりと潜り込んでいく物語が、たまらなく面白い。
本書では、実際に新たに旅をしたわけではなく、これまでの数々の探検を言語という切り口で再び巡る。過去の著作の裏舞台を明かしつつ、その探検の鍵になった言語について、ときに言語学の専門的な知見も差し挟んで文章は展開していく。学んだ言語は25以上(!)。とはいえ、語学の天才なのかというと、そういうわけでもない。アジア・アフリカ・南米などの辺境地帯で探検するために、前もって日本で勉強していくこともあれば、現地で出会った言語をその場で習い覚えて使うことも。言語を「探検の道具」として、道を切り拓いていくのだ。ところが目的が達成されると、途端に使わなくなり、その言語能力はなくなってしまうそうだ。いや、そんなことはない。本書を読めば、高野さんの語学力の本質は「引き出しの奥」にちゃんと仕舞われていることがわかる。言語を体系的に捉え、共通点を見つけ、新しい言語の規則をするすると引っ張り出すことができるのだ。期間限定とはいえ、目的を持ってその言語と向き合ったからこそだろう。それに、語学をこんなに楽しく語った本を他には知らないのだから。
私自身の旅で悔やまれるのは言葉の壁を越えられないことだ。その壁をいとも簡単に越える人を目の前で見たときに、自分にできない理由がわかった。スイスで日本人の国際山岳ガイドと登山をしたときのこと。ガイドとしては百戦錬磨だが、その人は日本語以外あまり得意でなかった。でも、山小屋のスタッフや他国のガイド、誰にでも話しかけ、話しかけられ、いつも楽しそうに会話をしていた。そう彼にとって語学はあくまで「道具」なのだ。
高野さんの言語との向き合い方を知ると、しみじみと思う。語学の天才になれなくてもいい。その時々、どんなコミュニケーションを取りたいかで、自分なりに言語と付き合えばいいのかもしれない、と。旅も同じく。今だからこそどんな旅ができるか、考える楽しみができた。
「小説幻冬」2022年11月号
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