徳川家康は幼少期から能に親しみ、自らも稽古を行っていたという。後に、能は徳川幕府の公式儀式で演じられる芸能として定着。各地の大名も能装束を盛んに作った。
なかでも百万石の大名として名を馳(は)せた加賀藩前田家は、豊かな財力を注ぎ絢爛(けんらん)豪華な能装束を多く製作した。その名品のいくつかは、現在、国立能楽堂(東京都渋谷区)のコレクションとして保存、活用されている。
このたび所蔵品のひとつ白地御簾牡丹折枝模様縫箔(しろじみすぼたんおりえだもようぬいはく)が劣化したため、復元製作することになった。手がけるのは京都・西陣で能装束一筋に仕事を貫いている佐々木能衣装。どのように作られるのか。復元の現場を追いかけた。
長い名称に含まれる縫箔とは、能装束の種類のひとつ。刺繡(ししゅう)と金銀の箔で模様をつけた小袖をさす。能ではユニークな用い方をしており、これをタイトスカートのように腰に巻き付けて着用することが多い。
製作の陣頭指揮を執る佐々木洋次さんは、これまで多くの復元を手がけてきた。その目から見ても「一点物の特別注文で作られた素晴らしい縫箔」と絶賛。天女が主人公の「羽衣」や「楊貴妃」の舞台にふさわしいのではないかと想像を巡らせる。
復元作業は4月に始まった。まず上等な繻子(しゅす)を織り上げ、箔押(はくお)しの職人に預けて御簾の図案を箔で表す。この縫箔、よく見ると御簾の細い横ひごが着物全体にびっしり並んでいる。そのすべてが金箔(きんぱく)。職人がひごの形に糊(のり)を置き、その上に金箔をベタッとのせて、余分な箔を払い落とす。つまり着物とほぼ同じ面積の金箔が用いられることになる。
御簾の縁は銀箔(ぎんぱく)。作りたては白く輝くが、銀の性質でやがて黒っぽく変色してしまう。だが佐々木さんはそれがいいという。「白から黄、赤、紫…というふうに銀箔の色みは複雑に変化していく。趣があります」。箔の作業は1カ月を要して完成。刺繡をする前の段階で、眩(まばゆ)いほどの美しさだった。
9月。仮に着物の形に仕立てる仮絵羽(かりえば)にして、下絵職人に牡丹の絵を布地に描いてもらう。その線を頼りに刺繡が施され、11月に表地ができあがった。
今は、木製の手織機(ておりばた)で裏地を織っている最中。その後、手縫いの縫製作業に入り、12月中に納品される予定だ。
復元された縫箔は、国立能楽堂の主催公演やワークショップ、展示などで使用されるとのこと。お披露目が待ち遠しい。(伝統芸能の道具ラボ主宰・田村民子)
◆貴重な技 さらに未来へ
今年、国の「選定保存技術」に能装束製作の保存団体が認定された。佐々木さんは2020年に能装束製作の保持者に選定されており、このたびは保存団体の代表者として認定書を受け取った。
能装束は消耗品。舞台で使っていくうちに劣化してしまう。昔も今も、そして未来も能装束を作る人たちがいなければ、能は演じることができない。能装束の発注は減少傾向にあり、製作現場は決して楽ではない。貴重な技が未来につながるか。今が正念場であるように感じる。 (田村民子)
◆公演情報
<能「松風」> 2024年2月21日午後1時、東京・国立能楽堂。美しい海女の姉妹、松風(シテ)と村雨(ツレ)が縫箔を腰に巻き付けて登場する。シテは梅若紀彰(きしょう)。ほかに狂言「節分」。国立劇場チケットセンター=(電)0570・079900。ネット予約は「国立劇場チケットセンター」から。
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