2022.07.17 (09:01)
国立ハンセン病資料館で催されている企画展「生活のデザイン」。ハンセン病患者・回復者が療養所で実際に使ったさまざまな道具を通じて、かれらの生きざまを静かに伝えている。
不便乗り越える道具

足を切断した患者は義足を履いて生活していた
ハンセン病を「不治の病」と誤認した戦前の日本政府は、患者を療養所へ「完全隔離」することで病を根絶させようとした。そのため1950年頃まで療養所には患者と複数の看護師しかおらず、入所者らは洗濯や料理、生活品の制作にいたるまですべて自らの手で行わざるを得ない、社会と断絶された環境に追いやられていた。
来月31日まで国立ハンセン病資料館で行われている企画展「生活のデザイン」では、ハンセン病患者・回復者が置かれた生活から、先述のような社会の様相をうかがい知れる。
展示場入口付近のブリキ製義足が来館者の目を止める。1911年、両足を切断した患者自らが考案した手製の義足だ。切断部分を包帯で巻きつけ突っ込むだけの簡易なもので、高価な革製の義足を使えないハンセン病患者らの多くが履いていたという。
ハンセン病は痛みや熱さを感じる知覚神経がまひするため、手足に傷ができても気づかないことが多く、手当が遅れれば外傷部分を切断する場合がある。そのような人にとって義肢は必需品であったが、自ら制作しなければ履くことができなかった。義足のほかにも、足指を切断した患者が履く「わっか下駄」や作業しやすく工夫された「取っ手付きカンナ」など、それぞれがのぞかせる個性は、日常で直面する不便を道具を通して乗り越えようという当事者らの生きざまをまじまじと見るようだった。
展示場の中心には、鈴付きのハサミやプッシュボタンに突起の付いた電話機、ウレタンカバーを付けた湯呑みなどが褐色の机上に置かれていた。これは、手足の運動神経障害により、物をつまんだり掴む動作が難しい人の生活を支えてきた自助具だ。食べる、飲む、切る、押すといった日常の小さな動作がままならない人の生活を支えていた。
「みなさんね、両手使って速いけど、遅くたっていいのよ。字が書けりゃいいんだから」。展示場の一角で流れていた映像のなかの声が説得力を与えていた。右手に棒を固定し、ワープロで文章を書いているという1人の女性。「私らしく生きることが大切」。そう言っているようにも思える。

知覚麻痺が進んだ手で押しやすいよう、電話機のプッシュボタンに突起がついている。右はボタンかけ
時代とともに変化する療養所の暮らしも垣間見ることができる。
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