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サーギル博士と歩く東大キャンパス 番外編 - 東京大学新聞社

 本連載では、哲学や歴史学、人類学など幅広い人文学的知見を用いて「場」を解釈する文化地理学者ジェームズ・サーギル特任准教授(東大教養学部)と共に、毎月東大内のさまざまな「場」を考察対象として取り上げてきた。新型コロナウイルスが世界でまん延する中、今回は「番外編」として、ウイルスにより分断される世界と我々はどう向き合うべきか、文化地理学的な観点からサーギル特任准教授に聞いた。

(取材・円光門)

ジェームズ・サーギル特任准教授(東京大学教養学部) 14年英ロンドン大学大学院博士課程修了。Ph.D.(文化地理学)。ロンドン芸術大学助教授などを経て、17年より現職。

地理学者が見るコロナ禍の世界空間

  新型コロナウイルスの感染拡大は決して医学の問題にとどまりません。欧米ではアジア人が、中国ではアフリカ人が暴行を受けるなど、人種差別の問題にまで発展しています。このことは文化地理学的な観点からはどのように論じられるでしょうか

 文化地理学における「文化」とは人間活動全般を指し、人間活動は常に何らかの空間の中で展開します。人間がどのように特定の空間と結び付き、意味を見いだしていくのかを探究する学問が文化地理学なのです。

 今回のパンデミックに付随して起きた外国人排斥感情を文化地理学的な観点から考察する際に注目すべきことは、人々の空間認識が変容することで「他者」がどのように生じていったかということです。新型コロナウイルスの発生が伝わり始めた頃は、世界中の人々、特に欧米諸国の人々は、これはあくまで中国の問題だと認識していました。彼らにとって、欧米と中国の間には想像上の空間的断絶があったのです。

  その後感染は欧米にも広がりました

 象徴的なのは、欧米諸国に住むさまざまなアジア系の人々が想像上の「アジア人である他者」という単一主体にまとめあげられることで、新たな空間化のプロセスが発生したことです。すなわち、ウイルスの感染範囲には空間的な制限があるという認識が崩れていったのと同時に、欧米在住のアジア系の人々が感染源だという誤った認識の下、空間的にもまさに間近にある脅威の対象として彼らが捉えられるようになってしまったのです。

  それでは次に、中国の側で起こったことを文化地理学的に考えるとすると、どのようなことが言えますか

 中国には、資本や金融を縦横無尽に移動させて世界各国と貿易を展開する経済的空間と、言論や情報を統制する政治的空間という二つの相反する空間が共存しているように見えます。両者は、国内における権威主義的統治と国外におけるグローバルプレーヤーとしての振る舞いという矛盾の存在を象徴していると言えるでしょう。国内で新型コロナウイルスの発見に関する報告が当局によって抑圧されたというニュースは、中国が初期段階でウイルスを封じ込めることに失敗したことへの批判として、世界中のメディアで報道されました。

 このようなウイルスに関する情報や言論の統制は、中国が国内向けの物語を作り出すことを目的としているかのように見えるかもしれません。しかし同時にそれは、世界市場における主要なトレーダーおよび製造業者としての国際的地位を維持するという国外に向けての動きと完全に切り離されているわけではないのです。グローバルプレーヤーとしての中国のアイデンティティーと権威主義としての中国の政治体制との間に不連続性があるように見えても、実は両者は本質的に関連しています。

 ハイデガーの表現を借りれば、特に今回のパンデミックに関する情報の内部的 および外部的抑制は、真実を「覆い隠す」(verbergen)方向に働くことで、中国という国が境界の内側と外側双方から認識される仕方に影響を与えています。当局は報道機関を統制することで、貿易相手の喪失や工場の稼働停止といったパンデミックがもたらす経済的な影響を防止しようとしたとも言えるわけです。

  ハイデガーは「覆い隠す」(verbergen)と「あらわにする」(entdecken)という二つの言葉をコインの裏表のような意味を持つものとして扱いますが、中国にもそのような両義性が認められるということでしょうか

 中国の内と外の物語における空間の「覆い隠し」のプロセスは、閉鎖的な国家としての中国とグローバルパワーとしての中国の空間領域の差異を曖昧にしていますが、同時にそれは中国固有の在り方をあらわにしていると言えるでしょう。言い換えれば、中国は国内では強権的な統治を行う一方で、国内における報道は同時にまた他国の視線を意識しているわけです。

 これら国内、国外に向けての相反する態度は常に政治的な「覆い隠し」の背後で機能しているのであり、これこそが中国という特異な政治的空間をもたらしているのではないでしょうか。すなわち中国という空間は「覆い隠されること」と「あらわにされること」との間で延々と揺れ動き、事実とフィクションは国の境界の内外に住むどちらの人々にとっても容易に区別され得ないのです。


この記事は2020年6月30日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を掲載しています。

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